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地域のコミニュティからの独立 その3

しかし結局、次のステップがモノにならず、目標に答えが出ず、先が見えなくなります。ここらで潮時・・・

 

親と同じ道を進む事になるのです。チャンスは貰っていたので文句は言えません。

 

遅まきながら2年の専門学校を無事終了させ、やがて資格を取得しました。

 

ところがです。

 

さぁこれから!という卒業と同時にすぐに父親がガンで入院する事になります。

 

直腸ガンでした。本人共々かなりのショックを受けました・・・結曲、治療し人工肛門という選択をしました。不便ではありますが、とりあえずは命を繋ぐ事には成功しました。

店の方は卒業早々の腕ではまとに仕上げる事が出来なかったのですが、必死で繋ぎました。今思えば酷かったなぁと・・・やがて半年程すれば親も少しづつ復帰できるようになりますが、この状況で家を出るのは難しい・・・そしてしばらく親と一緒に働いていました。

 

しかし家の事業、お店は既にワタクシの給与を出せる状況では無かったのです。それでも何とか立て直そうと頑張ってましたが、同級生を含めて同世代より下の世代、いやもう上の世代もですね、この地を次々離れていきました。まず、進学で、次に就職で、最後は結婚で・・・と離れる人 が・・・もう隠居仕事としての価値しか無かったんですね。昔は不景気に強い仕事と言われ稼げなくても生活できる・・・そんな仕事だと言われていました。もうすでにそんな神話は崩壊し始めていました。

 

ある程度回復を見計らって、親と相談し悩んだ末、将来の為、スキルUP修行の意味もあり、とある理美容の会社に就職(といっても職人契約)しました。ようやく家の店を出る事になります。給与は安いけどそれでもまだ若かったし休みも少なかったけど色んな経験できたのは今でも大きかったと思っています。

 

そんな感じで月日は流れます・・・ところが父親のガンが再発してしまいます。5年経過していたのでほぼ新規のガンになりますが今度は場所が悪く治療は困難を極めました。抗がん剤治療は体を蝕んでいきガンは抑えれてもその他の臓器に負担がかかります。最後の放射線治療も効果なく・・・終のホスピスにも行けず・・・亡くなってしまいました。

 

亡くなる直前は家の店と会社側の店舗との掛け持ちで休み無く10キロ体重は落ちる事になりました。毎週ベルト穴が一つづつ縮まる事に・・・

 

父親は組合長を始め各種の役員に就任してたこともあり、顔の広い方でした。お葬式は大きな会場を借りて費用は掛かりましたが、自分なりに最大の事が出来たと思います。色んな方々が来てくれました。中には久しく見ない人達やお客さんでない人も・・・そう思えば気配り、我慢の出来た人だったと改めて思いました。

 

そして、決断の時がやってきます。家の店を閉店し、会社の職人として生きるのか?それとも今は隠居商売になっている店を立て直すのか?

 

悩んだ挙句、ワタクシは家の店を選択しました。今、思えば本格的な茨の道の始まりだったと思います。

 

~つづく~