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地域のコミニュティからの独立 その4

方向に向けていた。もうすでに出店できる気でいたのだ。その方向で準備も進めた。HPのテナント募集欄に熱い想いをすべてぶつけた。建設も始まっていない時期に・・・

 

少し不安に感じたのはワタクシが知り合ったそのスーパーセンターの会社の方は近くのソレには関わっていないので直接的に力があるわけではなく、間接的に推薦してくれると言ったものであった。力がどの程度あるか?わからず、この方の話はあくまで推測の意見でしかないが、肯定的に聞こえた。半信半疑でもその時期は立て直すため藁をすがる想いでしたので期待するしかなかったしそれが先の解決につながる最善策であったから。

 

そして1年半ほど月日は流れ、ようやく待ちに待った審判の日は来ました。

 

 

運命の日です。

 

 

スーパーセンターの担当の方が訪ねて来たのです。

 

おぉぉこれは!期待に胸が高鳴る!

 

 

「実はですね、理美容の業者様はすでに決まっておりまして・・・」えっ?だってあんなに早く応募したやん!ライバルと比較もせずにどうゆう事?

 

「テナント料も高いですよ!」とくぎを刺してきた。こちらもモールのお店のテナント料などは以前働いた会社で経験済み。察しているつもりだ。どうも田舎の個人事業者をなめてるようなそぶりだった・・・・

結局色々話した結果・・・申し訳ないけど諦めてくれと。

 

もうね、計画決まってから住民説明会にも足を運び、すべてをコレに賭けていたのよ。それが儚くも崩れ去った瞬間でした。長い時間の夢物語はこれにて終了。

 

この地の近くに集客施設ができて、少ない人がさらに流れて、その中にライバルも入って一体、この集落でどうしたらいいのだ・・・自分が考えていた真逆の方向に途方に暮れました。

 

その後、熟考した末に、今年末で廃業しようと考え始めました。廃業・閉店の文章を考えます・・・涙が出ます。こんな結末ありかよ!歳でも怪我・病気でもないのに・・・長年続いてきた店の終わりがこれって・・・先祖に申し訳ない。

 

廃業するにしても後の事も考えねばなりません。自営業に失業手当はないのです。辞めた瞬間から収入はないのです。支払いは遅れてくる分もあります。

 

一刻でも早く次を決めねば!廃業準備と並行して就活もしていかねばなりません。この業界も安穏としてれる業界でもないし、将来を見据えた挙句、普通の店でなく福祉理美容の会社に入ろう!そう考え福祉理美容の道を目指す事に舵を切りました。そこしかチェーン店以外の職場では可能性が無かったと今でも思います。折しもそんな片りんは仕事の中でもありました。時々、体が動かなくなったお客様から依頼を頂くのです。

 

実はワタクシ、福祉の施設に営業に行った事もあります。父親が生きている時に。しかし結局ノウハウが無く失敗に終わったのをハッキリ覚えてます。最初は売り上げが伸びてコレで!と息巻いてましたが、そんな日はすぐ終わりました。難しいものです。もしその時をきっかけに上手くできていれば今頃、社長として陣頭指揮を握っていたと思います。

 

出店計画が座礁する前から一応は他の手も考えてましたが、それ以外の方法も決定打も見つからず現状の店維持と昔働いていた会社の縁のある場所で助っ人稼業の日々。正直、生活を回すのがいっぱいの日々。希望は商業施設の出店!それだけでモチベーションを保っていたわけです。

 

それが脆くも崩れてしまいました。

 

就職、もちろん職人としての契約になるので普通の会社員とは契約が違うが安定はするよな・・・1年もすれば何もかも普通に生きれる。これからは経営や影響を考えず会社のミッションをクリアしていこう。新たに再度、福祉に方向を向けるにしても昔失敗している。しかも自分一人で出来る事は限られている。営業の仕方、施術方法、道具など何が正しいのか分からない。自分でやるよりそれが1番だ。雇われ人として生きよう。

 

ネット検索の上、たどり着いたいくつかの会社と話をし、そして縁が出来たのが日本介護システム。そしてそれは就職と言う道ではなく業務提携、FCで契約しないか?との事でした。多少、初期費用はいるが他の業種のFCに比べ少なく、自分ペースで始められる自分にぴったりの働き方でした。店と並行して仕事ができる!これで先祖にも顔向けできるぞ!自営、廃業が一転、店と訪問のWワークです。この言い方が自営に当てはまるか?分かりませんけど。

 

日本介護システムは福祉事業を柱とする会社でまだ若く、その一部門として本格的に福祉理美容を考えて進めている時でした。関係を結んだ当初はお互いに意思疎通や手続きなど揉めましたが2,3年もすると形になってきました。会社もワタクシも。

 

~つづく~