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あとがき

この道に入った理由はここでは書かないが、なぜ自分が後を継ぎ、尚且つこの地でリニューアルして続けたか・・・

 

あらためて考えてみると若かりし頃は顔が広く、とても人付き合いの上手い人間だったと自分では思っていた。実際、色んな所で声はかけられるし、話好きだし、友達も多かった。普通に商売が成功すると単純に思っていたのかもしれない。何となく自信があったんだろうと思う。実際に就職した店でも顧客はそれなりに付いていたし自分で言うのもなんだが人気があったと思う。

 

もう一つは就職して再認識したのは何でも自分がやりたいタイプで、ミッションを単純にこなすよりも意味を見つけて仕事をするしたい人で、物事に横やりを入れられたり協調するのが苦手なタイプ・・・いわゆるワンマン社長、おらが大将な困ったちゃんである事も理由。自営業の自由さを求めたこともあるかなと・・・どうだろう・・・自分自身の分析だから正しいかどうか分からないけども・・・

 

最後には親孝行と先祖への想いですよ。やっぱりココで終わらすのは違うんじゃないか?親がやってきたことを継ぐのも供養になるかなってのもある。

 

今になって思うのは継いで少しの間でも一緒にできた事は良かったかなと思う反面、親から見れば自営業の難しさや思った以上に自由であって自由が無い制限の多さ、休みや稼ぎの少なさ、業界の先行き、不景気時に耐えれるんかな・・・など口に出さないけど思ってたに違いない。もちろん、言いたい事も言えないこの地域特性も心配してたんだろう。

 

今、方向性を変えつつ何とか仕事を続けているが、従来のスタンスでは行き詰ってる。

 

<失敗理由>

・時代の流れ・美容のユニセックス化・理容業界のイメージ戦略の失敗、何の対策もせず安穏としていた事・過疎化・価値観の多様化・村の中での自分の立ち回りの下手さ・仲間、友達の郷土離れ・実力不足・立地の変化・老朽化・経済低迷・・・自分だけのせいではないと思いつつもあげればキリがない。若さゆえの自信過剰もあっただろう。

 

上記の理由に加えてこのコミュニティである・・・やってはいけない場所、仕事だったんかな・・・それは今になって理解できる事であるのだが。

 

この4月より小学校は統廃合になり地域の子供はバス通学になる。まぁほとんどいないが・・・あの憎いスーパーセンターも噂では3キロほど手前の隣の自治体なんだが、別の会社のスーパーセンターが出来る計画があり、それがオープンするとこんな山奥まで来る必要のなくなるお客も多いはずで、撤退すると言う話をする人も出てきている・・・そうなった時にこの地区がどうなるのか・・・現在は特に新たなインフラやテナントの計画もなく、あまりに寂しい地区になってきている。

 

今、仕事を訪問事業にある程度シフトしている事で繋いでいるが、それが無ければどうなっていたんだろう・・・廃業?ローンが無駄になったかもしれない。

 

業界としての現在は美容業界に押されており、メンズサロン・理容はオーナーの高齢化と若手不足と若手の美容師への流れもあり小さな灯になっている。美容も多すぎたり不景気で低価格店が当たり前になりサバイバル状態になっている。

 

理容は男性専門化に特化するというか元々メンズ専なんだが、それを分かりやすい形で見せている店は復権している。特例ではあるが、一部の会社が女性を理容師に育てたり雇って女性お顔そり専門の店を大規模に展開している所もある。

 

一時は美容に取られたから若手の中で俺らもと意気込み女性客を取り入れようとしていたユニセックスの流れもあったが、中途半端で美容か理容か分からなくなってきてしまうという現象があり理容の利点が分かりにくい店づくりになっていた。

 

今現在、平成中ごろのロン毛ブームが去り、多少変則な髪形ではあるものの本来の理容技術を取り入れたネオクラシカルが市民権を得てきた流れがある。カッコ悪いがカッコイイと変化してきている。残念なのはその一部の流れを美容業界が作っている事。

あまりこの業界の事を書くとあとがき以上になっちゃうので端折るが、今、当店のような新しい、男の店・ネオクラッシックバーバーが増えてきて復権しつつある。数は少ないが低料金店以外のメンズサロンの選択肢を提供する事は業界を維持していくのにも大事な事。男の美容師は40超えるとオーナーになれないと辛いものがある。それに比べて理容は息の長い仕事だと思う。オーナー自身が髪が薄くなっても続けれるし中年以降の男の居場所の一つとしてやっぱりありつづける意味はあると信じてる。若い女性やおばちゃんの横で施術を受けるのは中年以降には何ともしがたい気持ちがあると思う。

 

店としては現在、HPやキャッシュレスの宣伝などで新たな顧客も徐々に増えてきてはいるのだが、まだ店だけでは難しい。近隣の同業のオーナー達は一回り以上世代差があるので話をしても噛み合わないし、おそらくワタクシより先に廃業するだろう。その時に当店に流れるお客さんがあるのか?も分からないし、一寸先は闇でどんな変化があるか?どの業界も今はそうなのかもしれない。

 

もしもう少し都会よりでコミュニティの分かりやすい所だったらどうだったろう?とか思う事もあるし、隣地区の店と入れ替わっていたらどんな人生だったろうと思う。他所の芝は青いのだ。

 

いずれにしてもこの先の地域と近隣の他店の動向は自分の目で確認する事になる。今からの選択の答えは死ぬまでに分かる。いや意外と早いかもしれない。

 

ただ今言えるのはコミニュティを抜けて良かったと言う事。80年の年月がかかったがこの呪縛は解けたと信じたい。近隣の嫌がらせ等はどの程度あるか?まだ分からない。無視だけで済むかもしれないし、気付かない程度に何かあるかも?しれない。

 

ともかく、崩壊するまで変化するまで待てなかったんだ・・・と言う事につきます。

 

細かな変化や動向はブログに細々書くだろうが、いつの日かこの続きはキッチリまとめて書き上げてみたいと思う。

 

おかしな文になってる事もあると思いますし、後に修正する事もあるかもしれませんが、この平成の最後の自分の歴史、変化を気持ちをとりあえずここ数日連続で書き留めてみました。

 

ここまでのご静聴ありがとうございました。

 

 

次回以降はまた不定期にてブログの通常更新となると思います。

 

~終わり~